惨事を起こした原因が解明されないままであるとは、不条理である。空の安全を確かなものにするために、原因を含めた教訓を継いでいかねばならない。
日航ジャンボ機墜落事故から12日で40年がたった。520人もの命を奪った未曽有の事故として航空史に刻まれる。
事故を二度と繰り返さぬよう、教訓を生かすことが欠かせない。だが、事故の原因とされる修理ミスがなぜ起きたのか、肝心の部分が不明のままである。
事故は1985年8月に起きた。羽田空港から大阪空港に向かう途中、機体の後部が吹き飛ぶなどし、迷走飛行の末、群馬県上野村の山中に墜落した。生存者は4人だけだった。
事故機は以前、着陸時に滑走路にしりもち事故を起こしていた。損傷した後部の圧力隔壁を修理する際、米ボーイング側がミスを犯し、日航や当時の運輸省がそれを見逃したことが墜落事故の原因である、と結論づけられた。
問題は、ミスが起きた理由について事故調査委員会が踏み込めなかった点である。米国で調査の壁に阻まれた。
最悪の事故がどうして起きたのか、徹底して突き詰めなくては十分な教訓は得られまい。
遺族の告訴を受け、88年に群馬県警が業務上過失致死傷容疑で日航と運輸省、ボーイングの計20人を書類送検したが、前橋地検は全員を不起訴処分にした。
このときの捜査でもボーイング側の聴取が実現しなかったのは、痛恨である。
送検から30年後の2018年になって、関係者の供述内容が明らかになると、機体の整備をボーイング任せにしていた実態が浮かび上がった。
日航の整備主任が「怠慢な検査をした」と認めたほか、日航側が入念に検査していれば「事故は防げた」との供述が複数あった。
運輸省検査官は「国の検査は二次的、後見的」と主張したが、責任回避でしかない。
安全運航への意識を欠いていたのは明白である。遺族の胸中を考えると、いたたまれない。
遺族らは今年も現場の「御巣鷹の尾根」へ慰霊登山をした。足元をつえで確かめながら登る姿があった。高齢の遺族も多く、登山を諦めることもあるという。
事故の記憶を次世代に伝えていくことが大切だ。
現場近くの学校の児童たちが慰霊のための花を育てたり、遺族が事故についての短編動画を作ったりしている。こうした努力が実を結ぶはずである。
国内外で痛ましい航空機事故が後を絶たない。あらゆる手だてを講じ、防がねばならない。
要となるのは航空業界の意識である。安全への誓いを新たにしてもらいたい。