8月15日が巡ってきた。終戦から80年の追悼の日である。

 日中戦争、太平洋戦争では310万人もの人が亡くなった。

 このうち県人戦死者は7万人を超え、空襲や機雷による犠牲者は1600人以上に上った。

 侵略や植民地支配によって、アジアの各国にも甚大な被害をもたらした。

 あまりにも大きな犠牲の上に、日本は非戦を誓って歩み出した。目指した国際平和は今、実現できているのだろうか。

 政府は今年の防衛白書に「国際社会は戦後最大の試練の時を迎え、新たな危機の時代に突入しつつある」と記した。

 防衛費は2027年度までの5年間に計約43兆円を投じ、国内総生産(GDP)比2%の水準まで増やす方針だ。米国のさらなる引き上げ圧力もあり、歯止めがかからぬ危うさが漂う。

 ◆貴重な証言次世代に

 世界ではロシアのウクライナ侵攻が約3年半に及ぶ。パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃では、多くの人が飢餓や栄養失調の状態にある。

 平和への道のりは、いまだ途上と言わざるを得ない。

 それでも日本で80年「戦後」が続いたのは、戦争を身をもって知る人たちが悲惨さを訴えてきたことが大きいだろう。

 南魚沼市出身の今泉清詞さん(101)は、ビルマ(現ミャンマー)で史上最悪の作戦とされたインパール作戦に従軍した。

 連隊本部に出向いた間に、所属の中隊が攻撃を受け、全滅した。草や蛇で食いつないだ敗走路には、飢餓と病で人が次々倒れ、「白骨街道」と呼ばれた。

 戦後、ビルマで眠る戦友の慰霊と、現地への謝罪の思いから、ビルマ人留学生を対象とする奨学金を創設した。20年間で178人に支給した。

 「生き残って申し訳ない」と自責の念を抱えたが、請われれば、従軍体験を語ってきた。根底には「二度と誰にも自分のような経験をさせたくない」との願いがあった。

 同様に数え切れない人々が、痛みを伴う記憶を語ってきた。その重みを改めて受け止め、平和への指針としたい。

 同時に、戦後80年の今、体験者の高齢化が進み、証言を聞ける最後の機会が迫っている現状を直視する必要がある。

 日本世論調査会の全国郵送世論調査では、1774人の有効回答のうち「戦争体験を含め直接知っている」と答えた人はわずか3%にとどまった。

 県連合遺族会は今年、孫世代が対象の語り部研修を始めた。長岡市の長岡戦災資料館も昨年から、親やきょうだいの体験談を継ぐ語り部が活動する。証言を聞き取り、伝える取り組みとして期待される。

 ◆政治監視し平和守る

 先人の記憶は未来の過ちを防ぐ力となる。自ら学び、次世代へつなげねばならない。

 気がかりなのは、歴史を否定したり、軽視したりする政治家が見受けられることだ。

 自民党の参院議員は、沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」などと語った。慰霊碑を訪問したのは何十年も前で、曖昧な記憶を基にした発言だった。

 沖縄県議団が決議文で「沖縄戦の実相を認識せず、歴史を修正しようとするものだ」と批判したのは当然だ。

 先の通常国会では、日本学術会議を来年、特殊法人に移行させる新法が成立した。

 これまでの法にあった「平和的復興」をうたう前文や、「独立して職務を行う」との条文の文言は消え、首相任命の監事や評価委員を新設する。

 学術会議は、科学者が政府と一体となって先の戦争を遂行した反省から出発した。その原点が法人化後も守られるのか、今後も見ていくことが重要だ。

 政治家が都合よく歴史を変えれば、ゆがんだ政策が生まれかねない。歴史の教訓から目を背ける政治は、再び選択を誤る恐れをはらむ。

 なぜ戦争を阻止できなかったのか、反省を打ち出すことが必要だ。石破茂首相は戦後80年に際し、「首相談話」を発表すべきである。

 私たちも平和を守る責任を担っている。政治を監視し、声を上げ続けねばならない。