学童疎開で滞在した西方寺で当時を振り返る野口房夫さん(右)と加藤一磨さん=上越市上野田
学童疎開で滞在した西方寺で当時を振り返る野口房夫さん(右)と加藤一磨さん=上越市上野田

 太平洋戦争末期、現在の上越市は東京から多くの子どもたちが学童疎開した。国民学校5年生の時に上越市に疎開した葛飾区の野口房夫さん(91)は戦後、当時の級友らと受け入れ先の旅館や寺院などを度々訪れ、今も地元の人たちと交流を続けている。7月に上越市を訪れた野口さんは「自分たちも大変だったのに温かく受け入れてもらった。体が続く限り、感謝の思いを伝えていきたい」と語った。

 学童疎開は米軍による空襲に備えるため、東京などの都市部で学校ごとに地方の農村などに児童を移住させる政策。...

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