第2次大戦中にドイツ軍の空襲で焼け落ちたかつての大聖堂=8月、英中部コベントリー(共同)
 第2次大戦中にドイツ軍の空襲で焼け落ちたかつての大聖堂=8月、英中部コベントリー(共同)
 8月6日、英中部コベントリーで開かれた広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する式典(共同)
 英中部コベントリーの大聖堂跡にある「和解」の像=8月(共同)

 広島に原爆が投下されてから80年となった8月6日、英中部コベントリーで広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する式典があった。会場となった大聖堂の隣には、屋根のない黒ずんだ建物がたたずんでいる。第2次大戦中の1940年、ドイツ軍の空襲で焼け落ちたかつての大聖堂だ。軍需工場があった街への攻撃は11時間に及び、市民約600人が死亡した。

 大聖堂跡を案内してくれたガイドのメアリー・グッドウィンさん(83)によると、空襲後、当時の司祭は「報復ではなく許しを」と説いた。その精神が今に受け継がれ、戦時敵国だった日本の原爆犠牲者をしのぶ礎となっている。大聖堂跡は現在、平和にちなんだアート作品が並び、市民が憩う。

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