沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場=9月4日
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場=9月4日
沖縄県、那覇、名護市辺野古、普天間飛行場
米兵による少女暴行事件の発生当時、沖縄県の基地対策室長だった粟国正昭さん
1995年10月、米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた沖縄県民総決起大会であいさつする大田昌秀知事=沖縄県宜野湾市
取材に答える沖縄国際大の野添文彬教授=8月22日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大研究室
1996年1月、米軍基地問題を巡る初会談に臨む橋本龍太郎首相(右)と大田昌秀沖縄県知事=首相官邸
取材に答える琉球大の山本章子准教授=8月5日、沖縄県西原町の琉球大研究室
 軟弱地盤が広がる沖縄県名護市辺野古の大浦湾側=8月19日

 沖縄県で1995年9月に起きた米兵3人による少女暴行事件から30年がたった。事件をきっかけに沖縄では怒りが爆発し、その結果、日米両政府は沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還で合意した。ただ移設先は県内の名護市辺野古で、なおも返還には時間を要する。米軍に特権を許す日米地位協定の改定は実現できないままだ。

 事件はなぜ、普天間の返還合意につながったのか。米軍による事件はなぜ根絶されないのか。当時の県幹部や専門家への取材を通じ、沖縄と日米両政府の「妥協点」として見いだされた普天間返還の経緯を検証した。(共同通信=吉岡駿)

▽守れなかった尊厳、集まった8万5千人

 事件が起きたのは1995年9月4日...

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