禅問答とはもともと禅宗の修行の一つを言う。修行者が疑問を問い、師匠が答え、高尚な会話になる。しかし、私たちには難しすぎて理解しにくい。転じて、筋の通らないやりとりを指す意味になったようだ

▼原発という難解な問題だからか。時々、禅問答を連想するような話に戸惑う。先日、東京電力の小早川智明社長と柏崎市の桜井雅浩市長が面会した時もそうだった。注目されたのは原発再稼働後の一部廃炉だ

▼社長は「廃炉を含む最適な電源構成の道筋を確実に付ける」と回答したが「廃炉を約束したものではない」と強調した。一方、市長は「確実な一部廃炉への意思表明だ」と評価した。つじつまの合わない会話をどう受け止めればいいのか。水面下の調整もあったようだが、はたから見ていて理解に苦しむ

▼原発再稼働問題を巡って、市長は花角英世知事の言葉にかみついた時もある。「禅問答を繰り返す時期ではない。政治家の判断がなされる時期だ」と不満をあらわにすることもあった

▼禅問答と批判された知事は再稼働受け入れ可否の結論を出していない。判断材料とする公聴会や県内首長との懇談会が終わり、最後の県民意識調査が残る。判断を示すのは10月末以降になるという

▼柏崎刈羽原発は東日本大震災の後、長らく動いていない。早く再稼働させたい国や東電の考えはさておき県民が納得のいく落とし所を探ってほしい。原発という難しい問題だからこそ分かりやすい議論を期待したい。主役はあくまで県民だ。