国策協力運動を展開した大政翼賛会は1940年の10月に結成された。すべての政党は解散して翼賛会に吸収され、ファシズムによる国民支配を強めた。翌年には、太平洋戦争に突き進んでいく

▼政党解体は「立憲政治の破壊」「世界文明国に類例を見ざる醜態」と酷評したのが斎藤隆夫だ。翼賛会結成の半年ほど前に、衆院議員を除名されている。その理由となったのが、石破茂首相が戦後80年所感で言及した「反軍演説」である

▼斎藤は国会で「聖戦の美名に隠れて…」と国民が多大な犠牲を払う日中戦争の愚を説いた。たった一人で、それも国家総動員が敷かれる戦時のただ中に

▼軍部を批判し、政府の責任を追及し、追随する政治家も断罪した。議場では拍手も湧いたが「英霊をぼうとくする非国民の演説」だと親軍派は糾弾した。懲罰動議を出され、演説の3分の2は議事録から削除された

▼除名前に辞職すれば傷は浅いと説得されても、斎藤は間違ったことは言っていないと受け入れなかった。除名後に詩を詠む。〈わが言は即(すなわ)ち是(こ)れ万人の声/褒貶(ほうへん)毀誉(きよ)は世評に委(まか)す/請う、百年の青史の上に看(み)ることを/正邪曲直、おのずから文明〉。訴えは後世に正しく評価されると信じていたのだろう

▼石破首相の所感表明は、同じ日に公明党が連立政権からの離脱を決めたことでかすんでしまった感もあるが、思いの丈を込めたことは伝わった。斎藤への言及には、辞任に追い込まれた自らの胸の内も忍ばせていたように思えて仕方ない。