
長岡戦災資料館に保管されている名簿の正本
長岡空襲から80年の今年、長岡市が管理、公開する戦災殉難者名簿に、7年ぶりに新たな1人の氏名が刻まれた。犠牲者数は1489人に増え、埋もれている犠牲者がほかにもいる可能性が高いことがあらわとなった。しかし、空襲で亡くなった“証拠”がなければ、新たな登載は難しいのが現状だ。登載されなければ、犠牲者の数も増えることはない。行政による犠牲者の氏名、数の把握はどうあるべきか。正解のない命題が横たわる。(長岡支社・石井英明)
「名古屋から疎開してきた親子3人が空襲で亡くなったはずだ。名簿にはないが、自分しか知っている人はもういないと思う」
長岡市中島2の男性(85)は自身の知人と、疎開を受け入れた商店の人が「かわいそうだった」と話していたのを聞いた、と証言する。20年近く前のことで、親子は母親と子ども2人。空襲後に出征地から戻り商店を訪ねた父親が、長岡市滝谷地区出身とも聞いたという。氏名は分からない。
長岡戦災資料館に「調べてほしい」と伝えたが、進展はなかった。今年追加された1人を含め、殉難者名簿に名古屋市を本籍地とする人はおらず、話をしていた知人らも亡くなった。真相が分からないまま時が過ぎる現状に、男性は無念さを募らせる。
× ×
長岡市によると、...
残り946文字(全文:1477文字)