サイパンで戦死した父の遺影を持つ稲田定彦さん=静岡県浜松市(2025年8月2日撮影)
 サイパンで戦死した父の遺影を持つ稲田定彦さん=静岡県浜松市(2025年8月2日撮影)
 今も残る旧日本軍の戦車(左上)、多くの慰霊碑が並ぶバンザイクリフ(左下)、洞穴に隠れる日本兵を攻撃する米兵(右)=いずれもサイパン=のコラージュ(写真はAPなど)
 自宅の机の引き出しで見つかった、戦地に赴く直前に父藤雄がしたためた遺書。原本は失われてしまったが稲田定彦さんが書き写した。(2025年8月2日撮影)
 サイパンで遺骨を探す稲田定彦さん。現地は気温32度、湿度96%の過酷な状況だった=米領サイパン(共同、2025年8月23日撮影)
 )稲田定彦の父が消息を絶ったサイパン北部の公園には大砲などが保存されていた=米領サイパン(共同、2025年8月22日撮影)

 青く透き通った海から吹く潮風がヤシの木々を揺らす。日本から空路で3時間半。赤くさびて朽ち果てた旧日本軍の戦車や大砲が80年の歳月を物語る。米領サイパン島は太平洋戦争で、旧日本軍と米軍が死闘を繰り広げた。日本側の死者は兵士と民間人を合わせておよそ5万5300人に上り、今も海域を含めて2万6千柱超の遺骨が眠る。(敬称略、文・久江雅彦、写真・堀誠)

 サイパン南部の密林の岩陰。日本の遺骨収集団が熊手を手にゆっくりと地面を掘っていく。80年の歳月を経た人骨はもろく、慎重に土を取り除かないと砕けてしまう。2025年夏、一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」の主催で、日本人10人が現地に赴いた。浜松市...

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