新潟地震で住宅が全壊した新潟市西区の青山地区の現場。50代女性が亡くなった=1964年6月
新潟地震で住宅が全壊した新潟市西区の青山地区の現場。50代女性が亡くなった=1964年6月

 粟島沖を震源とする新潟地震の発生から16日で58年になる。新潟市などで大きな被害が出たが、「新潟地震で亡くなった人はいなかったという認識だった」との手紙が、新潟日報の「もっとあなたに特別報道班」(もあ特)に寄せられた。調べてみると「死者ゼロ」の事実はない。一方で、県内の犠牲者の数が資料によって異なることに気付いた。なぜ違いが出たのか。(報道部・黒島亮)

 手紙を寄せたのは新潟市中央区の80代男性。「当時は死者ゼロと認識していて『新潟の奇跡』と評する県民もいた」。男性は当時を振り返る。混乱の中で正しい情報が伝わるまで時間がかかったのか。それとも地震の規模が大きかった割に死者数が少なかったことが「奇跡」と評された理由だろうか。県などに尋ねてみたが、分からなかった。

 新潟地震は1964年6月16日に発生。マグニチュード7・5。新潟地方気象台によると、住家1960棟が全壊。半壊は6640棟に上った。液状化現象とみられる被害で県営アパートが倒壊。完成したばかりの昭和大橋が崩落した。火災の火が石油タンクに引火し、約2週間にわたって燃え続けた。

▽旧紫雲寺町の死者数に違い

 新潟市や県が60年代にまとめた記録などによると、新潟地震で27人が亡くなった。内訳は県内14人(新潟市11人、柏崎市2人、旧紫雲寺町1人)、山形県9人、秋田県4人。新潟市と県の資料に違いはない。

 一方、国立研究開発法人防災科学技術研究所(茨城県つくば市、NIED)の公開データは、新潟地震の死者数を26人とする。山形、秋田両県の数は同じだが、本県の死者数は1人少ない13人。県などが死者に数えている旧紫雲寺町の1人がゼロになっている。警察庁や消防庁のデータもNIEDと同じだ。

 NIEDなどの資料は、新潟地震翌年の65年に気象庁がまとめた「新潟地震調査報告」に基づいている。県内の警察署の管内ごとに被害状況がまとめられている。

 ただ、新発田市は「市内では1人が亡くなったと認識している」(担当者)との立場。紫雲寺町史にも町内で1人が亡くなったとの記述があるという。

▽被害認定基準の統一前、ずれの要因?

 なぜ、NIEDなどが公表している県内の死者数が、新潟市などの資料より1人少ないのか。

 NIED企画部広報・ブランディング推進課の若月陽子さんは「新潟地震の死者数の違いは60年代には生じているが、理由は分からない」という。若月さんは死者数の違いが発生した背景の一つに、調査主体の被害認定基準などの違いを挙げる。

 地震などの災害の被害認定基準は、68年に国の通知で統一されるまでは消防庁、警察庁、厚生省(当時)で異なっていた。新潟地震の発生は基準が統一される4年前。この辺りに数字のずれの原因がありそうだ。

 ことし3月に県がホームページで公表した「防災に関する県民行動指針」の過去の災害アーカイブでは、新潟地震の県内死者数が13人になっていた。県の資料も「13人」と「14人」が混在している。

 県の担当者は「当時は直接死、関連死などの定義が明確でなかった。資料によって死者数が異なる理由ははっきりしない」と話す。

 近年の災害などではこうした食い違いはないようだが、意見を寄せた男性は「ばらばらの数字が資料に残されているのはよくない。県民にとって重要な意味を持つ記録。正しい情報を出す必要があるのではないか」と話した。