2002年6月15日、新潟はベッカムフィーバーに沸いていた。サッカーW杯日韓大会で主役となったイングランドのスターに「追っかけ」も現れた。ビッグスワンでの決戦を目にしようと、海外からサポーターが押し寄せた
▼本紙号外は英語でも記された。彼らは無料であることに驚きながらも、笑顔で受け取ってくれた。危惧されたフーリガン(暴徒)の出現は杞憂(きゆう)に終わった。陽気に行進する姿は人と人、国と国とを結びつけるサッカーの力を実感させた
▼あれから、ちょうど20年。改めてこの競技の求心力について考えさせられた。W杯カタール大会の欧州予選プレーオフで見せたウクライナの戦いぶりだ。戦禍の母国に吉報と勇気を届けようと選手は走り、国民は固唾(かたず)をのんで見守った。ゼレンスキー大統領は「2時間の幸福」と表現した
▼ロシア侵攻後、多くの代表選手が所属する国内リーグは中止に。成人男性の出国が制限される中、チームは特別に国外での強化を許され、この舞台にたどり着いた。だが多くの人が期待した奇跡は起きなかった
▼主力のジンチェンコ選手は「全てをピッチに置いてきた」と語り、なおも強い口調で訴えた。「ロシアの侵略は、明日あなたの国で起こる可能性がある。団結して戦争を止めなければならない」
▼諦めずにボールを追う同胞の姿に、前線の兵士は勇躍しただろう。ただ、気持ちを奮い立たせ、再び銃を握る姿を思うといたたまれない。サッカーはサッカー。戦争に導く道具ではない。