
中越沖地震の揺れで崩れた原発構内の道路。左後方は6号機=2007年7月、柏崎刈羽原発
東京電力柏崎刈羽原発の約14年ぶりの再稼働が近づいている。半世紀以上前に誘致されて以来、その存在は、絶えず地域に「推進」と「反対」の議論を巻き起こしてきた。柏崎商工会議所の元専務理事で推進の旗振り役を務めた内藤信寛(85)、原発反対を掲げる柏崎地区労働組合会議の元議長で先頭に立った佐藤正幸(81)の両者の話から、建設当時や東電福島第1原発事故など、50年以上に及ぶ地域と原発の歩みを振り返る。(敬称略)
<6>「トラブル隠し」で浮き出た“東電の体質”…広がる失望、断ち切れる地域との信頼
2007年7月16日午前、佐藤正幸の車が柏崎市宮川地区の下り坂に差しかかった時だった。激しい揺れにハンドルが取られた。「車軸が折れたかと思った」。中越沖地震だった。
柏崎市や刈羽村では震度6強が観測された。椎谷地区の自宅に戻ると、家は傾き、玄関の戸が外れていた。
15人が亡くなり、...
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