判決から1カ月がたった。被告側が控訴し、高裁で審理が続くことになった。司法的決着への関心もあるが、事件への社会の関心がまだ維持されることに安堵(あんど)する。安倍晋三元首相銃撃事件があらわにしたのは、宗教2世を巡る問題ばかりではない
▼45歳の山上徹也被告は極端な就職難に遭った氷河期世代に当たる。学力がありながら大学進学を諦めた後、自衛隊への入隊や非正規の仕事を続けた。事件前にSNSに投稿したとされる無数のツイートに心情が映る
▼〈何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている〉〈生き残るのは搾取上手と恥知らず〉〈人が人にとってのインフラである〉。憤怒、自嘲、厭世(えんせい)…。もがくような痛々しい訴えだった
▼政治学者の五野井郁夫さんは自著に記す。「他人事ではないという感覚におそわれる。彼の半生は、もしかしたらわたしだったかもしれない」。なぜ山上被告が一線を越えたのかを考え続けることで、同じ時代を生きている責任を果たさねばならないと続ける
▼批評家の藤田直哉さんは被告について「動機や境遇に同情しつつ、運よく自分がその立場になっていないだけ」だという心の痛みをつづる。2人の論客は共に被告と同年代である
▼氷河期世代であっても、宗教2世の不遇を抱えても、人の命を奪う理由にはなり得ない。ただ、その正論を語るにとどまっていては見えないものもある。裁判は続く。事件が何を問いかけるか再び考える機会を得た。
