日本のフォーク歌手の第一人者である吉田拓郎さんが、年内で芸能界の第一線から退く意向という。中学生の頃から拓郎さんの歌を聴いていたので寂しいかぎりだ

▼1975年の静岡県つま恋や、79年の愛知県篠島で開いた夜通しコンサート。映像を見ると、ラストの曲「人間なんて」は歌うというより、がなり立てていた。しかし、そのパワーはすさまじかった。これからも、落ち込んだ時には再生して元気をもらおうと思っている

▼本県との関わりでは91年に「吉田町の唄」を作ってくれた。合併で燕市になる前の吉田町の若者たちが、まちおこしの一環として依頼した。本紙は「あの吉田拓郎が同姓のよしみというだけで」「歌を作ったことは一つの事件だった」と、驚きを伴って伝えた

▼拓郎さんがコンサートで紹介すると、町役場には「CDやテープが欲しい」という手紙が殺到した。翌年には全国発売に。テレビCMにも使われ、全国のお茶の間に流れた

▼家族の絆の尊さや、子の成長を願う心を歌った。曲の依頼があった際は、なぜ父親が「拓郎」と名付けたのかと頭に浮かんだという。アルバムのジャケットには、本人の幼少期の写真をあしらった。自らを重ねた歌とも取れる

▼旧町内には歌碑が立つ。〈いつか故郷を拓(ひら)けと願い 「父を超えて行け」と 名前を さずけた〉。こんな歌詞が刻まれている。地方の衰退が指摘されるが、この歌に込められた思いは今も古びてはいない。「故郷を拓く心」を受け継いでいきたい。

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