その言葉をここでも使うのか。報道を目にして思った。「ここ」とは、死去した安倍晋三元首相の葬儀を国葬とすることを巡る松野博一官房長官の記者会見。「その言葉」は松野氏による次の発言だ。「指摘は当たらない」

▼野党や一部国民からは、国葬にすることで安倍氏への政治的評価が事実上強制されるとの懸念が出ている。これについて問われた松野氏は「国民一人一人に政治的評価を強制するとの指摘は当たらない」と述べた

▼国葬とする理由について政府は安倍氏の政治的実績を挙げる。国葬は元首相の死を悼むとともに、その実績を歴史に刻む場にもなるはずだ。“実績”の負の側面を指摘する声もある中で、全額を税金でまかない、国を挙げて元首相をたたえるとなれば「政治的評価の強制」という懸念が生じるのもうなずける

▼思い起こせば「指摘は当たらない」という言葉は、第2次政権時代の安倍首相や菅義偉官房長官がよく口にしていた。相手の指摘に耳を貸すことなく、議論を打ち切るような冷酷さが漂った

▼世を去った人の批判は、はばかられるような空気も存在する。それが人情だという声もあろうが、元首相という公人中の公人であれば、その実績は慎重かつ冷静に分析されねばならない

▼国葬に対して多様な声があるのは健全なことだろう。政府は国葬とすることの意義などを丁寧に説明するというけれど、懸念に耳を貸さないような口ぶりはどうしたことか。現政権の看板は「聞く力」であったはずだが。

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