少し前の記事が紹介した文書に、気になる一節を見つけた。「わが国には核兵器、放射能などに異常に反応する風土がある」。確かに多くの日本人は核の問題に敏感である。しかし、それを「異常」とは

▼記事が引用したのは、1970年の機密文書だ。日本に入港する米原子力潜水艦の放射線監視を巡る日米間のやりとりを記した。原爆を落とされ辛酸をなめた末、国民の多くは核に極めて厳しい視線を向けるようになった。一方で当時の政府には、日本人の核への反応は異常だという認識があったということだ

▼では現在はどうか。ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の核開発など世界の安全保障環境は流動化しており、一部政治家らの間には核をタブー視しない空気すら漂い始めた。米国の核兵器を日本に配備して共同運用する「核共有」政策に前向きな動きもある

▼果たして日本人の核に対する姿勢は「異常」なのか。現実に核兵器のむごたらしい被害を受けた国に住む者として、核はこの世に存在してはいけないと言わざるを得ない。この国に住む者だからこそ核の惨禍を肌感覚で理解できるのではないか

▼「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」。ここ数年、広島原爆の日の式典に出席した首相はこの文言を繰り返してきた。だが、政権中枢に日本人の核への反応を「異常」だとする認識があったとしたら…

▼きょうの式典に広島選出の首相が参列する。心の奥底には核廃絶に向けた真の願いがあると思いたいが。

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