時折、目に涙を浮かべながらシベリア抑留について語る小潟辰雄さん=長岡市
時折、目に涙を浮かべながらシベリア抑留について語る小潟辰雄さん=長岡市

 旧ソ連(ロシア)が旧満州(中国東北部)に侵攻してから、9日で77年となる。新潟県長岡市寺泊下曽根の小潟辰雄さん(94)は陸軍軍用機の整備士として満州で終戦を迎え、シベリア抑留を余儀なくされた。飢えや寒さと闘いながら約3年、重労働を課された。「戦争ほど愚かなことはない」。あれから77年。改めて平和の大切さをかみしめる。

 小潟さんは1945年4月、内地から満州へ渡った。穏やかに日々が過ぎていたが8月9日、ソ連が満州に侵攻。事態は一変した。

 滞在する町から10キロほどの陸軍病院が燃えている光景は、今もまぶたに焼き付いている。ソ連軍の手に落ちる前に火を放ったと聞いた。「われわれも近々、玉砕準備をする...

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