鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、不思議な現象の記述がある。1266(文永3)年2月の項だ。「晩には泥が雨に交じって降った。希代の怪異である。おおよそ古い記録を調べると…」とあり、以下のように続く
▼垂仁天皇15年に星が雨のように降り、聖武天皇の御代(みよ)には洛中に飯が降り、陸奥国では赤い雪が降った。光仁天皇の御代では、石や瓦が雨のように天から降った
▼乏しい想像力を働かせる。星が雨のようとは、流れ星や隕石(いんせき)でも指すのだろうか。飯は大きなひょう? 赤い雪、瓦となると、何のことかさっぱり分からない。文中には「時の災いであった」とあるから、いずれも災害など人々にとって凶事であったようだ
▼吾妻鏡のように書くなら、20世紀の歴史書は「昭和天皇の時代には黒い雨が降った」となるのか。黒い雨の正体は、原爆投下後に爆心地やその周辺に降り注いだ放射性物質を含む雨である。長年にわたって人体をむしばむ恐ろしい存在だ
▼はっきりしないのは、黒い雨が降り注いだ範囲である。国は被爆者救済の拡大に向け、従来の対象地域以外にいた人にも門戸を広げる新基準の運用を4月に始めた。しかし適用されるのは広島だけで長崎は対象外。「黒い雨が降った記録に客観性がない」との理由からだ
▼長崎への原爆投下からきょうで77年。被爆したと訴える人々は高齢化しており、長崎県と市は国に一刻も早い救済を求めている。しっかりした救済を成し遂げることこそ歴史に刻むべきではないか。