
南樺太時代の食糧難を振り返る内山昌郎さん=村上市
1945年8月9日、旧ソ連(ロシア)は旧満州(中国東北部)に加え、日本統治下にあった旧南樺太(サハリン)にも侵攻した。南樺太には終戦時、約40万人の日本人が暮らし、樺太などで亡くなった日本人は約2万4千人と推計される。この地で生まれた新潟県村上市の内山昌郎(まさお)さん(89)は終戦から約3年間、ソ連統治下の南樺太に残され、飢えと闘いながら、故国に思いをはせていた。
「食べ物の恨みは末代まで絶たぬぞと、今でも運命の神にほえ立てたい」。内山さんは、古びた樺太の地図に目を落とした。
国民学校に務める父の赴任に伴い、南樺太の真岡(現ホルムスク)近くの町で生まれ育った。終戦直前の8月9日、ソ連軍が南...
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