被災地の復興へ向け一歩前進と言えるが、課題はまだまだ山積している。改めて原発事故の深刻さをかみしめねばならない。

 2011年の東京電力福島第1原発事故後に、全町避難が唯一続いていた福島県双葉町で、帰還困難区域の一部の避難指示が解除された。

 JR双葉駅周辺の特定復興再生拠点区域(復興拠点)などで居住できるようになった。

 避難指示が出た11市町村で、事故以来11年5カ月ぶりに、居住者がいない自治体はなくなった。

 ただ、帰還に向けては、1月から夜間も自宅に滞在できる「準備宿泊」を始めたが、参加は51世帯84人にとどまっている。

 居住できるエリアは町面積の15%のみで、最低限のインフラが整ったに過ぎない。放置された建物も多く残っている。総合病院やスーパー、コンビニはなく、公立小中学校は県内のほかの自治体に移転したままだ。

 故郷へ帰りたいと思っても、まだ帰れる環境ではないのだろう。

 復興庁や町が昨年実施した住民意向調査で、「戻りたい」と回答した町民は11%だったのに対し、「戻らないと決めている」は60%に上った。

 長い避難生活で町外での定住を決めたという人も少なくない。

 町役場は自治体で唯一、県外へ避難した。5日から双葉駅前に完成したばかりの新庁舎で業務を始める。伊沢史朗町長は「ようやく復興のスタートだ」と語った。

 町は30年ごろに居住人口を事故前の約3割に当たる2千人まで増やすとの目標を立てているが容易ではないだろう。

 多くの住民が戻りたいと思えるよう生活環境を整えることに全力を挙げてもらいたい。政府もしっかり支援する必要がある。

 双葉町には7月末時点で約5600人が住民登録している。意向調査では「判断がつかない」「戻らない」とした人のうち66%が、「町とのつながりを保ちたい」と回答した。

 1人でも多くが帰還できるように、居住できる区域を広げていかねばならない。

 政府は、双葉町を含めた福島県内の帰還困難区域で、住民の意向を確認し個別に除染を進める方針で、20年代中の希望者の帰還を目指している。

 しかし、具体的な道筋が見えないため、帰還の障害になっているとの見方も地元にはある。

 ほかにも、福島第1原発の処理水海洋放出を巡って風評被害を懸念する声が上がり続けている。

 福島から本県へ避難した住民らは、国と東電に慰謝料などを求め法廷で訴え続けている。

 いずれも原発事故がひとたび起きてしまうと、復興は容易ではないことを示している。

 岸田文雄首相は、次世代型原発建設検討などを表明した。福島事故以来の原発政策から転換し、経済再生を優先する前のめりの姿勢が目立つ。

 だがその前に、まだ復興もままならない被災地の現状にしっかりと向き合ってもらいたい。