未曾有の被害をもたらした原発事故を防げなかった事実は厳然として残る。無罪判決が出ても免罪符にはならない。

 司法の判断は分かれている。原発の安全性を巡る責任問題が決着していない中、再稼働の議論が前のめりに進むことを危惧する。

 2011年の東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の控訴審判決で、東京高裁は18日、一審に続き無罪を言い渡した。

 巨大津波を予見できたか、事故を回避できたかどうかが争点だ。

 東電内では、国の地震予測「長期評価」に基づき、「最大15・7メートルの津波が原発に襲来する可能性がある」との試算を得ていた。

 判決では「10メートルを超える津波が襲来する予見可能性がなく、業務上の注意義務は認められないとした一審判決は妥当だ」とした。

 長期評価については「見過ごすことのできない重みを有していた」と指摘したが、巨大津波の可能性を認識させる性質を備えた情報ではないとの判断を示した。

 評価の信頼性を否定した19年の一審判決にほぼ沿った内容だ。

 一方、昨年7月の株主代表訴訟判決は、長期評価には相応の科学的信頼性が認められると指摘、3人を含む4人に13兆円を超す巨額の賠償を命じた。

 刑事と民事で結論が分かれた形だ。刑事責任の事実認定のハードルが高いのは「無罪推定の原則」があるためだろう。企業が関わる大事故で、個人の刑事責任を追及する壁は厚い。

 判決に対し、検察官役の指定弁護士は「到底容認できない」と話し、被災者は「無罪はありえない」と疑問の声を上げた。

 市民で構成する検察審査会が「起訴相当」と議決し、司法に市民感覚を反映させるために強制起訴されたことを考慮すれば、当然の思いだろう。

 控訴審で指定弁護士は、裁判官による原発視察や専門家の証人尋問を求めたが採用されず、公判は3回で結審した。

 結審後も争点が類似する訴訟の判決文を証拠にしようと再開を求めたが、認められなかった。

 市民目線で審理を尽くそうとする姿勢が見えないことは残念だ。

 刑事責任にかかわらず、原発の安全確保に関する最終的な権限は経営陣にある。東電には一、二審の法廷で実施された「検証」を安全対策に生かす責務がある。

 指定弁護士側は「防潮堤建設や主要設備の津波対策工事をしていれば事故は回避できた」と主張した。判決に採用されなかったが、東電はこうした情報や知見を不断に取り入れていくべきだ。

 事故で失った信頼の回復は行動と実績で示さねばならない。現在の経営陣をはじめ原子力事業者は深く自覚してもらいたい。