新潟日報社が昨年夏に掲載した「#あちこちのすずさん×まいにちふむふむ」をきっかけに、戦歴などが記録された亡き祖父の兵籍簿を県から取り寄せ、戦中の足跡を探った女性がいる。新発田市の中学校教員山田絵美子さん(42)。「以前よりも戦争が現実にあったと感じられた。直接聞けなくなっても記録を手掛かりに後世に伝えたい」と話している。

 「#あちこちのすずさん」の企画で昨年7月、山田さんの長男で小学5年翔聖(とあ)君(11)が曽祖母の石井スミさん(95)に戦時中の暮らしについて聞いた。インタビューに同席した山田さんはさらに亡き祖父2人の従軍経験を知ろうと調べ始めた。

 スミさんの夫で母方の祖父・秋栄(あきえい)さんは1985年に62歳で亡くなった。幼かった山田さんは秋栄さんから戦争の話を直接聞いたことはない。スミさんからは輸送船に乗船中、攻撃されたものの脱出し、生き延びたことを聞いていた。どこに出征したのかなど詳しいことまでは知らなかった。

 兵籍簿には44(昭和19)年8月にフィリピンのマニラ港を出発した輸送船が敵の潜水艦から魚雷攻撃を受け沈没したとの記述があった。その後はセレベス島(現インドネシア・スラウェシ島)に上陸し、終戦を迎えた。

 山田さんは「祖母から聞いてきたことが実際に書いてあって驚いた。資料を見てもっと知りたいという気持ちになった」と話す。

 一方、父方の祖父石井政雄さん(94年に72歳で死去)は、陸軍歩兵75連隊として朝鮮半島北部の会寧(かいねい)で警備の任務に当たっていた。その後、西太平洋のトラック島(現ミクロネシア連邦・チューク州)に派遣された。

 トラック島は戦時中、日本海軍の連合艦隊司令部が置かれていたが、44年2月中旬の米軍による大攻撃で壊滅的な被害を受けた。その後孤立した島では食べるものを確保するのに苦労した。政雄さんが赴いたのは大攻撃の後だったが、兵籍簿には「戦闘ニ参加」の文字がいくつも並んでいた。

 政雄さんは山田さんと同居していたが寝込みがちだったため、戦争の話は聞いたことがなかった。「よく生きていたと思う。どんな景色を見て何を考えていたのだろう」と山田さんは祖父の体験に思いをはせる。

 山田さんは兵籍簿で祖父の足跡を探り、資料の大切さを実感した。2人の子どもの母であり、中学の国語教師でもある山田さん。「体験者から直接聞けなくなっても、資料を手掛かりに戦争の悲惨さや命の大切さを伝えたい」と言葉に力を込めた。

◆地方各紙の取り組み紹介
横浜・新聞博物館で3月末まで企画展

 戦中戦後の暮らしの記憶を伝えるプロジェクト「#あちこちのすずさん」を展開した地方紙の取り組みを紹介する展示が、横浜市中区のニュースパーク(日本新聞博物館)で行われている。新潟日報社など7社の記事などを紹介している。

 「#あちこちのすずさん」は各地の新聞社のほか、NHKやインターネットメディアが連携する企画。新潟日報社からは、新発田市の小学5年山田翔聖君(11)が曽祖母にインタビューし、食糧不足や乏しかった配給について学んだことを伝えた記事が展示されている。そのほか、戦地に出征した犬のエピソード(信濃毎日新聞)、朝鮮半島から命懸けで脱出した女性の記憶(神戸新聞)などを展示する。

 3月末まで。午前10時~午後4時半。入館料は一般400円、大学生300円、高校生200円、中学生以下無料。月曜休館(祝日の場合は翌日)。問い合わせは同館、045(661)2040。

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