パラスポーツの普及、発展に果たした功績は計り知れない。これまでの不屈の努力とすばらしい戦績をたたえたい。
車いすテニスの第一人者である国枝慎吾選手(38)が現役引退を表明した。引退会見で「最高のテニス人生を送れた。やり残したことはない」と述べた。
言葉通りの競技生活だった。4大大会全てとパラリンピックで優勝し、「生涯ゴールデンスラム」を達成した。世界ランキング1位のままでの引退だ。すごいと言うしかない。
9歳で脊髄腫瘍が原因で下半身が不自由になり車いす生活になった。11歳の時にテニスを始めた。
競技生活の根幹にあったのは「車いすテニスをスポーツとして認めさせたい」との信念だ。
2004年のアテネ・パラリンピックではダブルスで優勝したが、その頃の車いすテニスはスポーツとして扱われず、福祉としての意味合いが強かったという。
09年にパラアスリートでは当時前例のないプロに転向した。
トップスピンがかかった強烈なバックハンドは、車いすの選手には難しいとされた。その技を武器に勝利を重ねた。「俺は最強だ」と信じ、強靱(きょうじん)なメンタリティーで常にパラスポーツ界の先頭を走り、魅力をアピールし続けた。
現在はスポンサーを募り競技に専念する障害者選手は多いが、国枝さんがモデルケースを確立し、パラスポーツの発展につなげた。
会見では、21年の東京パラでの優勝を一番の思い出に挙げ、「東京パラが終わった後の反響は、スポーツとしての手応えがあった。若い選手に向け純粋なスポーツとしての土台を用意できた」と語った。
政府は、国民栄誉賞を授与する検討をしている。受賞が決まればパラスポーツ界では初となる。
引退後は健常者と障害者の垣根をなくす活動を続ける意向を示している。多様性を認め合う共生社会の実現に向け、これからも力を貸してほしい。
本県では、東京パラで競泳女子の山田美幸選手と、陸上男子マラソンの永田務選手の2人の県人メダリストが誕生した。
この快挙を追い風に、パラスポーツや障害の有無にかかわらず楽しめるユニバーサルスポーツの普及へ向け、力が注がれている。
指導者や資金不足などの課題もあるというが、粘り強く活動を続け、裾野を広げてもらいたい。