国費を含む巨額の資金を投じたにもかかわらず、国産航空機復活の夢はかなわなかった。「誤算」で済ますことなく失敗の原因や背景を徹底検証し、日本の技術力の再生に資さなければならない。

 三菱重工業が国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)の開発を完全に取りやめ、事業から撤退した。

 スペースジェットは、国産プロペラ機「YS11」以来、約半世紀ぶりの国産旅客機として官民一体で開発が進められた。日本の新たな成長産業に発展するとの期待が高かっただけに残念な結果だ。

 2008年に事業化が決まり、これまでに計約1兆円の開発費が投じられた。経済産業省も累計で約500億円の国費を投入し、支援してきた。

 三菱重工の泉沢清次社長は会見で「開発規模の見積もりが甘かった」「経験を持ったエンジニアがいなかった」などと撤退の理由を述べた。国費を形にできなかった責任を重く受け止めるべきだ。

 誤算続きの事業だった。13年にANAホールディングスに初号機を納入する予定だったが、設計ミスやトラブルが分かり、6回にわたって延期した。

 中でも、各国での商業運航に必要な安全性を認める「型式証明」の取得にめどが立たなかったのは大きな誤算だったという。20年10月には事業を凍結した。

 今後も事業を継続するには年間1千億円前後の資金が必要だとして、今月正式に撤退を決めた。

 この間、試験飛行レベルの機体は造り上げた。ただ、世界の航空機メーカーに匹敵するノウハウや経験はなく、やってみて初めて分かることもあったという。

 なぜ事業の見通しが甘かったのか。技術面では何が新たに得られ、何が足りなかったのか。

 三菱重工はあらゆる角度から失敗を検証し、業界全体で共有できるよう努めるべきだ。支援した国にもその責任がある。

 100万点もの部品から造られる航空機は産業の裾野が広い。全国の部品メーカーからは商業化への期待が寄せられていた。

 開発について関連メーカーからは「三菱重工1社でやれる話ではなかった」との声が出ている。

 かつて日本は「技術立国」を自負していた。今回の失敗は、ものづくりの技術を過信し、後れを取るという日本企業に長年指摘されてきた課題を改めて浮き彫りにしたといえる。

 三菱重工は、今回の開発で得られた知見を次期戦闘機の開発に生かすとしている。

 国は防衛予算を大幅に増額する方針を掲げており、これを追い風に進める狙いが透ける。

 過去の失敗を忘れることなく、そこから得られた知見を日本の産業界全体の底上げにつなげていかなければならない。