強いからなのか。弱いからなのか。人は時として感情にシャッターを下ろすことができる。つらいことも切ないことも、人ごとと割り切ってしまえば心に波風を立てずにすむ

▼良心や正義感があるから悩むこともある。理想だけを追い求められるとは限らない。いっそ思考を放棄するのも手だ。自分を保つすべの一つと言える。この人は、それがどうしてもできなかったのだろう

▼森友学園を巡る公文書の改ざんで、近畿財務局の渦中にいた赤木俊夫さんが自ら命を絶ってから、7日で5年になる。「事実を知る者として責任を取ります」と遺書を残し、命を賭して告発した疑惑は、現在も真相がうやむやだ。政治力で公正な行政がゆがめられた疑いは残ったままだ

▼改ざんを指示した当時の財務省理財局長は、国会の証人喚問で「刑事訴追の恐れがある」と答弁拒否を繰り返したが、その後訴追されることはなく、民事訴訟で証言する場もなく今に至る

▼人それぞれ、立場に徹しなければならない場面はある。司馬遼太郎は小説「峠」の中で、河井継之助に「人は立場によって生き、立場によって死ぬ。それしかない」と言わせた。継之助がよりどころにした武士道を描いた部分とされる

▼「公僕道」なるものもあるだろうか。官僚組織の一員としての立場に徹して口を閉ざす人と、国民全体の奉仕者に徹して事実をつまびらかにしようとする人と。どちらがあるべき姿か。愚問だろうか。ただとにかく、赤木さんには生きていてほしかった。

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