春は胸元に花をあしらった人とすれ違う。小学校で卒業式があった日に子どもたちが着けていたコサージュは、手作りのようだった。ピンク色の花飾りが、誇らしそうな姿を引き立てた

▼入学式があった先日は、胸に華やかなコサージュを添え、桜の下を新入生と歩いた保護者がいたはずだ。かちっとしたスーツ姿も花飾り一つで印象がぐっと和らぐ

▼コサージュはフォーマルな場で見ることが多いけれど、アクセサリーを針で留めたブローチはもう少し気軽な存在だ。宝石をあしらった豪華版から、刺しゅうを施した愛らしいものまで、素材やデザインは幅広い。普段着のアクセントにもなる

▼ブローチは、古代ギリシャなどで衣類やマントを留めるのに用いた「フィビュラ」が起源だという説がある。動物の骨などを鋭く加工したピンのようなものだ。服の構造が変わり、留め具の必要がなくなると、装飾品のブローチに変化した

▼フィビュラには、背筋が凍るような逸話があるという。古代アテネの軍隊が遠征し、ほとんどの兵士が戦死する中、一人の兵士が生き残って故郷に戻った。死んだ仲間の妻たちに夫の最期を伝えると、妻たちはなぜ一人だけ生き残ったのかと怒り狂い、衣装を留めたピンを肩から抜き、兵士を刺し殺してしまった

▼理不尽な戦争がもたらす悲しみは、憎悪となって人を苦しめ、時に正気を奪う。それは古代の逸話の中だけではないだろう。平和を享受するこの国で、固く胸に留めておきたいのは不戦の誓いだ。

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