良寛は多くの箴言(しんげん)「戒語」を残した。その一つに「差し出口」がある。「差し出がましく余計なことを言う」という意味だ。長岡出身の連合艦隊司令長官、山本五十六は良寛を敬慕していた。軍縮会議の予備交渉で訪れたロンドンでは、外国人記者に愛きょうを見せつつも胸の内は明かさず「鋼鉄の笑」と評された
▼一方、対米戦につながる日独伊三国同盟には黙さず、命懸けで反対した。米国の国力を熟知していた。ただ皮肉にも、開戦時は戦闘の最高指揮官だった。真珠湾攻撃などで当初は優位な状況に持ち込んだ
▼疲弊する前に大勝し、和平交渉しやすい状況をつくろうとミッドウェー作戦を主導した。しかし大敗し、その後は米軍に圧倒されていく。悲願の「早期和平」は遠のく一方だった
▼〈手を折りて うち数ふれば 亡き人の 数へ難くも なりにけるかな〉。良寛が晩年、指折り数えて亡き人を思い浮かべ寂寥(せきりょう)感を詠んだ歌だ。この歌に五十六は自身の心境を重ね、戦死した部下を悼んだ
▼希代の軍人は80年前の4月18日、前線視察中に撃墜され命を落とした。長岡の歴史家、故稲川明雄さんは「戦争は始めるより終わらせる方がずっと難しい。そんな苦悩を体現したような生涯だった」と指摘していた
▼世界は今、力を背景に一方的な現状変更を迫る動きが広がる。真の平和や公正な国際社会を追求する取り組みが不可欠だ。ウクライナの現状に、五十六ならば黙さずにロシアの撤退を訴えるに違いない。「早期和平を」と。