戦争放棄、基本的人権の尊重、国民主権を基本理念とする日本国憲法が1947年の施行からきょう3日で76年となった。

 決して時代遅れではない。むしろ国内外が混迷する今こそ、その平和の理念を未来へのメッセージと捉え、大切にしたい。

 ロシアによるウクライナ侵攻、中国の軍事的な台頭、相次ぐ北朝鮮によるミサイル発射など、日本を取り巻く情勢は緊迫の度合いを増している。

 これらを背景に、岸田文雄政権は防衛力強化にまい進している。昨年12月には安全保障関連3文書を閣議決定し、歴代内閣が政策判断として持たずにきた反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有に踏み切った。

 他国領域でミサイル発射を阻止するものだが、憲法9条の精神に基づく専守防衛の枠を逸脱する恐れがある。平和憲法の根幹を揺るがす懸念が拭えず、大きな問題を抱えている。

 ◆「改憲ありき」は疑問

 他国のミサイル発射が日本を狙ったものかどうかを見極めるのは容易ではない。

 ことし4月に北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際には、政府は一時、北海道周辺への落下の可能性があるとした。だが実際にミサイル本体が落下したのは、日本の排他的経済水域(EEZ)外だったとみられている。

 誤って相手の基地を攻撃すれば、国際法違反の先制攻撃とみなされる可能性がある。

 国防力増強だけで平和を守れるかといえば、違うだろう。緊張を解きほぐすには外交努力が欠かせないはずだ。

 多くの犠牲者を出した先の大戦を教訓に日本は憲法とともに平和な国を築いた。

 憲法については国民全体で考えていくことが大事だ。ただ、「改憲ありき」で憲法論議が進むことには疑問を感じる。

 岸田首相は自身の自民党総裁任期である来年9月までの改憲を掲げ、ことし2月の党大会では、時代は早期改正を求めているとして「国会の議論を一層積極的に行う」と強調した。

 国会では憲法審査会が開催回数を着々と重ねている。

 衆院の憲法審は昨年の通常国会では1国会としては過去最多の開催回数を記録した。臨時国会でも開催を重ね、週1回開催がほぼ定着した。

 立憲民主党の参院議員は、衆院の憲法審を念頭に「毎週開催は憲法のことなんか考えないサルがやることだ」と述べ、不適切な発言が批判された。

 発言の言葉遣いは容認できない。ただ、毎週のような開催頻度では憲法について議論を深めることはできないという趣旨の指摘にはうなずける面もある。

 政府が憲法審の開催頻度をもって「機は熟した」と判断するとしたら早計だ。改めて丁寧に議論をする努力を求めたい。

 ◆戦争学ばぬ指導者は

 共同通信が憲法記念日を前に行った世論調査では、憲法改正の機運が国民の間で「高まっていない」とする回答が「どちらかといえば」を含めて計71%に上っている。

 国民の間で早期改憲に向けて機が熟しているとは言い難い。

 安倍晋三政権は2014年に、長年政府が堅持してきた集団的自衛権は保持しているが行使できないとする憲法解釈を変更し、行使容認を閣議決定した。15年には行使を可能とする安全保障関連法を成立させた。

 密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃されていなくても、実力で阻止することが可能になり、自衛隊の任務が大幅拡大した。

 一連の動きを、旧制長岡中学出身の作家で21年に死去した半藤一利さんは「9条を骨抜きにして各地の戦争に首を突っ込むことになる」と憂えていた。

 半藤さんは東京大空襲で九死に一生を得ている。1946年に憲法草案が発表された際には、戦争放棄の条項に震えるほど感動したという。

 戦後の国際社会に定着している日本への信頼感は「日本が戦争をしないという真摯(しんし)な努力を続けてきたことにあるのではないか」と指摘していた。

 憲法を守る意味を語り続けた半藤さんは、戦争の悲惨さを学ぼうとしない指導者が戦争を起こすとも訴えていた。

 岸田政権が進める反撃能力保有や防衛費大幅増額は、集団的自衛権行使容認に続く、安保政策の歴史的な転換点となる。

 われわれ一人一人が、憲法の歩みを改めて振り返り、平和への道を進みたい。