患者に寄り添い、地域医療を支える献身的な医師の命を奪う理由がどこにあるのか。理不尽な凶行に強い憤りを覚える。

 高齢化やウイルス禍の中で、在宅医療はより重要性を増している。現場を担う医療従事者らの安全を守る対策を急いで講じなくてはならない。

 埼玉県ふじみ野市の住宅で、男が弔問に訪れた医師を人質に立てこもり、医師が散弾銃で撃たれて死亡した。

 男は92歳の母親が死亡した翌日、在宅医療を担当していた医師らを呼び出して心肺蘇生を求めたが、断られて発砲した。

 男は自殺しようと思い、医師やクリニックの人も殺そうと考えたと供述している。

 「母が死んでしまい、この先いいことはないと思った」とも話している。母親の死に動揺し、医療や介護への不満を募らせた可能性がある。

 凶行に及んだ背景に何があったのか。丁寧に捜査し、今後の対策につなげてもらいたい。

 厳重に管理されるはずの散弾銃を所持した経緯や許認可の状況なども調べる必要がある。

 男は地元医師会に何度も電話相談し、複数の医療機関について抗議していた。以前通っていた病院では、治療方針や病院対応に不満があると、院内で大声を出して怒ったという。

 住民との付き合いはわずかで母親を介助するヘルパーの他に自宅を訪れる人は少なかった。男の孤独な様子が浮かぶ。

 死亡した医師は、男が複数の介護事業所で利用料の滞納を繰り返し、態度も高圧的で行き場を失っていたところを「トラブルが起きるなら僕が引き取りましょう」と受け入れた。

 医師は地域では在宅医療の先駆的存在で、約300人の診療に関わっていた。新型コロナウイルスで自宅療養する患者の訪問診療も続けていたという。

 住み慣れた地域で医療を受けたい患者には欠かせない存在だったろう。その死を惜しむ声は強く、影響は計り知れない。

 医療や介護を巡って政府は、在宅での対応を推進した。在宅医療の利用者は年々増加している。厚生労働省によると2020年時点で訪問診療を受けた人は月当たり80万人を超える。

 その一方で、現場が抱えた負担の重さや危険性が見過ごされてはいないか気になる。

 介護疲れで家族が追い詰められることもあり、在宅医療の現場は家族の思いも含めたケアが求められる。それだけにトラブルになるリスクがある。

 そうした複雑な事情を抱える医療現場の対応が、医師をはじめスタッフ任せにされてきた面はないか。改めてきちんと検証しなければならない。

 最近は他者を巻き込んで自殺を図る「拡大自殺」の風潮も目立つ。昨年12月には大阪市の心療内科クリニックで通院していた男が医師らを巻き込んで自殺を図り、25人が犠牲になった。

 在宅医療に従事する人たちが危険にさらされることがないよう、今回の事件を社会全体の問題と捉えなくてはならない。