取りかえしのつかない事態を招いた責任を認めて最高裁が謝罪、異例の自己批判をした。
反省を踏まえ、事件の記録は「国民の財産」と位置付けた。廃棄せず後世に残すように関係者は意識を変えなければならない。
1997年の神戸連続児童殺傷事件など重大少年事件の記録が、事実上の永久保存に相当する「特別保存」とされずに廃棄されていた問題を巡り、最高裁は調査報告書を公表した。
原因については、最高裁が各裁判所に記録の廃棄を促すような不適切な対応をしたためとした。
小野寺真也総務局長は「後世に引き継ぐべき記録を多数失わせてしまった」と謝罪した。
神戸事件の遺族はコメントで、廃棄に対し「いつか全ての記録を閲覧でき、事件の真相に近づけるかもしれないという遺族の淡い期待すら奪い去る」と非難した。
全国の裁判所を束ねる最高裁の責任は極めて重い。保存や廃棄を適切に判断、実行する態勢を速やかに整えてもらいたい。
史料的価値が高い事件の記録について、最高裁は64年に特別保存とするよう規定した。92年には通達で「社会の耳目を集めた事件」などと対象を示した。
一方で全国的に保管スペースが手狭だとして、91年には「特別保存記録の膨大化の防止策」についても周知した。
矛盾した内容に映る。これでは各裁判所が保存に消極的な姿勢を強めていくのも無理はない。
最高裁が約100件の記録を調査したところ、運用要領で特別保存の具体例が示された2020年までに、50件の少年事件記録が廃棄されていた。
いずれのケースも、判断権限を持つ裁判所長の積極的関与がなかったと結論付けた。現場レベルで判断したのだろう。
気になるのは、特別保存が一時検討された例さえ、神戸事件を含む4件に過ぎなかったことだ。39件は記録が保存されている認識自体がなかった。
検討の俎上(そじょう)に載せることなく、司法を預かる職員らが漫然と廃棄していたことにがくぜんとする。
非公開で審理される少年審判の記録はプライバシーに関する情報を多数含み、外部に公表されない。遺族も全てを閲覧できない。
紛失や漏えいを恐れて、保存期間が過ぎれば廃棄が当然とする意識からの脱却が求められる。
記録は当事者の問題解決のためにだけ存在するものではない。歴史的、社会的意義を持つ「国民の財産」としたことは共感できる。
保存に向けて、常設の第三者委員会の設置や国立公文書館への移管対象拡大といった対策を打ち出したことも評価したい。
私たち国民も記録を将来的にどう活用するのかについて、議論を進めていくことが必要だろう。
