被害者と原因企業、行政などの関係者が一堂に集い、悲惨な公害を二度と起こさないと誓った意義は大きい。
式典が毎年開催され、新潟水俣病への理解が広まり、教訓が後世に伝わることを願いたい。
新潟水俣病が公式確認されて58年となった5月31日に、「新潟水俣病の歴史と教訓を伝えるつどい」が、県主催で初めて新潟市の県立環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)で開かれた。
公式確認から50年の2015年に被害者団体と県などが式典を開催して以来になる。
本県より先に水俣病が確認された熊本県では、1992年から毎年開催されている。本県では被害者団体が風化を防ぐため、開催を県に要望していた。
県はこれまで、全ての患者団体が同意していないとし消極的だったが、理解を得られたとして開催に応じた。
つどいで、被害者は「新潟に水俣病被害があったことを広く知ってもらえる」と評価した。
花角英世知事は「教訓を胸に刻み、持続可能で豊かな社会の実現を目指し、最大限の努力をしていく」と述べた。
県は来年以降もつどいを開く方針だ。末永く続け、風化しないよう努力を続けてもらいたい。
忘れてはならないのは、現在も裁判や患者認定で救済を訴えている人が多くいることだ。
何の救済も受けられていない150人以上の被害者が、今も裁判を闘っている。
新潟水俣病の現在唯一の救済制度は、公害健康被害補償法に基づく患者認定だ。
しかし、国の認定基準が厳しくなり、県と新潟市が行っている認定審査では、2021年度と22年度に認定された人はいなかった。
最高裁が13年に、国の基準より認定の幅を広げる判断を示したにもかかわらず、国が基準を見直していないことなども要因だろう。
患者団体は、認定棄却が相次いでいることを受け、今年2月、認定審査会が最高裁判決を踏まえていないと批判し、審査は不当だとする抗議声明を発表した。
軽症や中等症の人の救済には不十分だとの指摘もある。
こうした声を国は重く受け止め基準の見直しを急ぐべきだ。
今回のつどいで被害者側は、実情を知ってもらうために環境相の出席を求めていたが、かなわなかった。環境省幹部が出席したが、あいさつで被害者救済などの話はしなかった。
被害者から「国は被害者の現状を理解しようとしていないのではないか」と声が出ている。
新潟水俣病の教訓を次世代へ継承していくだけでなく、苦しんでいる人たちが一日も早く救済されるように、国はしっかり現実と向き合うべきだ。
