戦時中の服装や恋愛事情を知りたい―。ふむっ子記者で新潟市真砂小6年周藤まゆかさん(12)が新発田市の佐藤スズエさん(89)に聞きました。
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「当て布だらけでぼろぼろ。おしゃれはできなかったですね」。「通学の時の服装は?」との周藤さんの質問に対し、佐藤さんは戦時中の少女時代を思い返しました。平林村(現村上市神林地域)の農家に生まれ、9人きょうだいの5番目。着ていたのはお姉さんたちのお下がりの着物ばかりでした。いろいろな物が足りない時代です。「あれもこれも我慢でした」
当時佐藤さんの楽しみは甘いおはぎを食べることでした。材料のコメや砂糖は配給で、限られた量しか手に入りませんでした。おはぎを食べられる機会は少なく、お彼岸と10月末の「大刈り上げ(おおかりあげ)」という稲刈り後の収穫祭の時だけ。「最高のごちそうでした」と佐藤さんは目を細めました。
周藤さんが「今と比べたらないものだらけで、今は幸せなんだなと思いました」と伝えると、佐藤さんは「そうそう」と深くうなずきました。
終戦時13歳だった佐藤さん。周藤さんは「恋愛はできる状況でしたか」と聞きました。「戦争だから愛とかそういう気持ちはなかった」と佐藤さん。4人のお姉さんたちは皆、親が決めた相手とお見合いすることもなく結婚しました。
佐藤さんの2番目のお姉さんは戦時中、10代後半で結婚しました。その後夫は戦地に出征し、戦死しました。「跡継ぎとなる子どもを生むために戦争に行く前に結婚したんですよ」と佐藤さん。周藤さんは恋愛もせずに結婚していた状況を想像し、驚きの表情を見せました。
佐藤さんは米軍の戦闘機が近くを飛んでいったのを目撃したことも伝えました。田んぼを出て葉っぱが茂った茶畑に隠れました。「ダダダダダッ」という音も聞こえました。少し離れた坂町駅周辺が襲撃されたと後で知りました。
周藤さんは最後に「戦時中と今の新型コロナウイルス禍を比べてどうですか」と質問。佐藤さんは「物が抱負にあって平和な中でのウイルス禍。今の子どもたちも悩みはあるだろうけど、自分に与えられたものをこなして頑張ってね」と答えていました。
ふむっ子記者 周藤まゆかさん(12) 戦争の恐ろしさ痛感
佐藤スズエさんから戦時中の新潟の様子や日常生活などを聞きました。
当時は学校には毎日行くけれど、帰ってきたら友達と遊ぶことはなく、田んぼでの農作業が忙しかったそうです。かみ型はおかっぱか三つ編みをまとめたものが定番でした。
次に坂町空しゅうについても教えていただきました。田んぼで農作業をしていたら、アメリカの飛行機が飛んできて、田んぼを出て茶畑にかくれました。アメリカの飛行機に見つかってしまわないように家の中の電灯を黒い布でおおって生活をしていたそうです。
今の新型コロナウイルス禍と戦時中を比べると大変さは「雲泥の差」だったと佐藤さんは言っていて、その言葉を聞き、戦争は本当に恐ろしいものだなと思いました。憲法の基本原則の一つ「平和主義」にあるように「戦争を二度とくり返さない」という考え方はとても大事なものだと感じました。
※坂町空襲...1945(昭和20)年7月17日、米軍の戦闘機が坂町駅付近(現・村上市)を襲撃し、死者が出た。
新潟日報 2021/08/19