戦争放棄を掲げた平和憲法の下で戦後を歩んできた日本は、岐路に立たされている。周辺諸国との間で軍事的な緊張が高まり、政府が防衛力の増強を押し進めているからだ。
日本人だけで310万人もの戦没者を出し、アジアなどの諸国にも多くの犠牲をもたらした先の大戦を忘れてはならない。78回目の「終戦の日」に、非戦の誓いを新たにしたい。
◆警戒したい戦前回帰
2017年に87歳で亡くなった南魚沼市の榊原司郎さんは15歳の時、1945年3月10日の東京大空襲を生き延びた。
長女の紀子さんは父から戦争体験を直接聞いたことはほとんどない。だが今、「父の記憶を語り継ぎたい」と考えている。
大空襲で司郎さんは母と弟が炎の中で力尽き、貯水池に沈んでいく姿を目の当たりにした。
その後に疎開した長岡市の郊外でも空襲に遭遇した。赤い夜空を見上げ「もう戦争は終わってくれ」と祈った。
戦後は教師となったが、空襲の体験は長らく家族にさえ語らなかった。ただ、戦後60年を過ぎた2006年、生き残った同級生と共に「東京大空襲の記憶」という冊子をまとめた。
父の背を見て教師となった紀子さんは、冊子を読み、改めて戦争のむごさを知った。
冊子には「思い出すのもつらい、忘れてしまいたい体験」だった戦争が、晩年には「風化させてはならない」と感じるようになったとつづられていた。
紀子さんは、未来世代に平和の尊さを伝え続けなければ、との思いを強くしている。戦争を「人災」とし「みんなで食い止めなければならない」と語る。
司郎さんが、戦争の記憶を冊子に残そうとしたのは、国内政治に「平和憲法をないがしろにしかねない」ような危うさを感じ始めたからだった。
03年に政府はイラク復興支援特別措置法を成立させた。自衛隊を初めて戦争状態にあった国に派遣した。戦後守り続けてきた一線を越えた。
自民党は05年に新憲法草案を公表し、「自衛軍」保持を打ち出した。06年には教育基本法も改正し、愛国心を重視する内容を盛った。
当時の安倍晋三首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げた。戦後の価値観を疑問視し、政治の転換を目指した。
戦後の日本が貫いた戦争放棄は、決して古びることのない価値観で誇っていい。
にもかかわらず、安全保障を巡る体制整備は加速している。「戦争ができる国」に向けた準備が着々と進んでいることへの批判は根強い。
安倍政権は14年に、歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。15年には行使を可能とする安全保障関連法を成立させた。
戦争被爆地広島を地盤とする岸田文雄氏が首相に就いても流れは変わらず、ついには安保関連3文書を改定して反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有した。
今が「新たな戦前」にならぬよう政治を厳しく監視し、こうした流れに歯止めを掛けなければならない。
ロシアによるウクライナ侵攻や中国の軍事的台頭、北朝鮮のミサイル発射などを背景に、戦争を知らない世代の政治家らが危機感をあおる。
◆平和の尊さ次世代へ
平和主義の尊さを、未来世代に継承していく重要性が今ほど重みを増していることはない。
一方で戦争の実相を知る世代は高齢化が著しく、戦争体験者や語り部は年々減少している。
22年には日本の人口に占める戦後生まれの割合が87%に達し、戦争の凄絶さを伝える難しさは全国共通の課題になった。
東京都の東京大空襲・戦災資料センターは、戦後生まれの世代が語り部となり、約10万人が犠牲になった大空襲の体験証言を受け継ぐ計画を進める。
適任者探しは容易ではないが、ある空襲体験者は「継承してもらわないと、先の大戦がなきものにされる」と訴える。
ひとたび戦争が起きるとどうなるか。数々の無念さを教訓として伝えた体験者の願いを、しっかりと継がねばならない。
長岡市の長岡戦災資料館は映像や冊子、体験談の朗読などさまざまな手法を試みる。
歴史や足元の惨劇を改めて学びたい。戦争を知らない世代にも記憶を継承し、平和をつなぐ責務があることを心に留めねばならない。