戦時中は、国のために子どもたちにも軍需工場などで働くことが求められました。現在の中学生や高校生を対象に「学徒勤労動員」が行われました。
Q どうして子どもたちが働かなければいけなかったの?
A 当時の日本は、男性は一定の年齢になると軍隊に入隊することになっていました。働き盛りの若い男性が戦地に行くことになり、不足した労働力を補うために子どもたちが働き手となりました。戦争末期には、学校の授業よりも働くことが優先されたのです。
Q どんな仕事をしていたの?
A 現在の中学生以上の生徒は農業や家事、防空壕(ごう)づくりなどをすることになりました。作業内容や日数は徐々に広がり、軍衣の縫製工場が校内に開設された女学校もありました。軍需工場では、航空機の部品や兵器の製造を担っていたようです。新潟県の生徒が愛知県など県外の工場に動員されたケースもありました。
Q 子どもが兵器製造に携わるなんて恐ろしいね。
A そうです。作業も危険でしたが、軍需工場は敵の空襲の標的にもなりました。動員先で空襲に遭い亡くなった生徒もいます。学びたくても自由に学べないような状況も戦争被害の一つですね。