父の加藤正幸さんが残した回想録について語る前山菊枝さん=糸魚川市
父の加藤正幸さんが残した回想録について語る前山菊枝さん=糸魚川市

 1945年8月15日の終戦から78年となった。戦争を経験した人が少なくなる中、新潟日報社は当時の日記や手紙を募集した。寄せられた記録には、必死に生きた市民の生活や、若い兵士が戦地から家族を思う言葉がつづられていた。太平洋戦争を手記や証言からたどる。

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 「市中は、いたるところ、がれきの山、電線が、たれ下って、徒行に困難の有様、悲惨の極み」

 国民に終戦が告げられる14日前の1945年8月1日夜、米軍の爆撃機125機が降らせた焼夷(しょうい)弾の雨が長岡の市民を襲った。長岡空襲だ。隣の与板町(現長岡市)で家族7人で暮らしていた加藤正幸さん(99年死去)は、一夜明けた街の惨状を手記に残した。

 加藤さんは1908(明治41)年生まれで、空襲当時は37歳。与板町で登記所長を務めていた。戦争に関する記述は80歳から書き始めた「回想録」の中にあり、現在は長女の前山菊枝さん(80)=糸魚川市=が大切に保管する。

 「六か月勤務していた裁判所を焼失したことを知った。早速、長岡市の裁判所へ行って見ると、裁判所は、官舎一軒を残して、全部焼失し...

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