目を覆う惨状だったに違いない。新潟日報の前身の一つ、新潟毎日新聞はこう記した。

 「東京全市の被害は最も甚だしく殆(ほとん)ど戦場の如き光景を呈し至る処(ところ)死屍(しし)累々として屍(しかばね)の山を築て居る」

 1923年9月1日、相模湾北西部を震源にマグニチュード(M)7・9の地震が発生した。広範囲が震度7~6相当の揺れに見舞われた。

 死者・行方不明者は10万5千人、国内の自然災害で最悪の犠牲者を出した関東大震災だ。

 建物倒壊や火災が相次いで津波も襲来、山間部では土砂崩れが多発する複合災害だったが、実態はあまり知られていない。

 都市機能が拡大し、高齢化が進む現在なら、被害はより複雑化しかねない。

 「国難級」の三つの巨大地震のうち最大の被害が想定される「南海トラフ」は、30年以内の発生確率が70~80%、最大死者数32万3千人と算定される。

 ◆被害広げた火災旋風

 県内で起こり得る最大級の地震は、新潟市沖-小千谷市の長岡平野西縁断層帯が引き起こす。県の想定では最大死者数約8千人、建物の全壊は約17万1千棟に上る。

 居住地のハザードマップを確認し、勤務先や学校など自宅以外で多くの時間を過ごす場所の安全性も把握しておきたい。

 避難先や避難経路を家族らで話し合い、非常用持ち出し袋も準備しておく必要がある。

 日頃の警戒を怠らず、備えを万全に整えることは被害の軽減につながる。それが百年後を生きる私たちの責務だ。

 関東大震災は犠牲者の9割が焼死だった。中でも「火災旋風」が襲った旧陸軍被服廠(ひふくしょう)跡(現東京都墨田区)は酸鼻を極め、3万8千人が亡くなった。

 四方を炎に囲まれ、7ヘクタール近い広場に密集した避難者に逃げ場はなかった。強烈なつむじ風で荷車や人が舞い上がり、持ち込んだ家財道具や服に着火した。

 火災旋風は東京、横浜の約130カ所で起きたという。発生条件は未解明だ。専門家は「頻繁には起きないが、通常の火災を超える壊滅的な被害を引き起こし得る」と指摘する。

 地震による出火は同時多発する可能性がある。建物倒壊で消防車が通行できず、消火に必要な水道管の損傷も予想される。

 まずは出火を防ぎ、複数の火の手が確認されたら避難を検討しなければならない。火災旋風の発生状況にも注意したい。

 国が「著しく危険」と定義する木造の密集市街地の解消が求められる。古い建物の解体、増え続ける空き家など課題は多いが、対策を進めてほしい。

 首都直下地震では最大720万人の避難者が想定される。都道府県境を越える広域避難に関し、自治体間の協力連携態勢を実効性あるものに高めたい。

 ◆虐殺の教訓残さねば

 意識して記録に残さねばならないことがある。大震災直後の軍隊や警察、住民組織の自警団などによる朝鮮人の虐殺だ。

 背景には民族への差別意識と朝鮮半島の植民地化があった。「いつか仕返しされる」という潜在的な不安から「朝鮮人が火を付けた」と流言が広がった。

 日弁連は2003年、国に謝罪を求める勧告書を提出した。流言の事実を確認せずに当時の内務省が伝え、虐殺を誘発したとしている。

 政府の中央防災会議は09年、公文書を引用して警察などの加担を認め「虐殺という表現が妥当」との報告書を作成、犠牲者を千~数千人と推計した。

 にもかかわらず、政府は「事実関係を把握する記録が見当たらない」と論評を避け、新たな調査に否定的な考えを示す。

 朝鮮人虐殺の事実そのものを疑問視し、否定する言説が広がる中、こうした政府の姿勢は歴史の風化や歪曲(わいきょく)を助長するものだと厳しく指摘したい。

 本社加盟の日本世論調査会の調査によると、再び大規模な災害が起きた際に虚偽の情報やデマが広がる事態が「起きると思う」人は8割強を占めた。

 一方、関東大震災で流言が広がり、混乱に拍車をかけた歴史を「知っている」と答えた人は3割強にとどまった。

 史実とそこからの教訓や反省を引き継がねば、惨劇が繰り返される恐れがある。歴史上の大災害の教訓を後世に残すのは国の役割だと断言できよう。

 想定される巨大地震への心構えを再確認し、決意を新たにする「防災の日」としたい。