選挙遊説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の国葬が東京・日本武道館で執り行われてから1年が経過した。
国論を二分した中で挙行された国葬にもかかわらず、政府はしっかりとした検証や今後の実施基準を残さずに全ての事務を終えた。将来、再び大きな意見対立を招くことが懸念される。
そもそも、首相経験者の国葬の是非を検証すると打ち出したのは岸田文雄首相だ。
昨年秋の国会で「今後に役立つよう検証をしっかり行う」「どのような手順を経るべきか、一定のルールを設けることを目指す」などと表明していた。
しかし松野博一官房長官は7月「国葬の検討に当たっては、時の内閣において責任を持って判断する」とし、国葬の実施基準を明文化しないとの方針を述べた。
首相の言葉とは大きな隔たりがある。なぜこのような結果になったのか首相自身の説明が必要だ。
国葬実施を巡っては、首相が国会へ諮らず、国民への十分な説明もないまま閣議決定した。
民主主義的なプロセスを省き独断で決めた手法を、今後も時の政権が踏襲する余地を残した。
国葬が弔意の強制につながらないかとの懸念や、国葬対象として安倍氏は適格だったかといった疑問もあった。会場費は当初約2億5千万円と公表したが、最終的には約12億円に上った。
こうした点にも明確な答えがなく、残念だ。
基準作りにつながるかと思われた政府の有識者ヒアリングは、法的根拠や国会との関係などで多くの指摘が出た。だが、ヒアリングを踏まえて公表された論点整理は、政府としての検証や判断には踏み込まなかった。
政府は約200ページに及ぶ国葬の記録集も作成したが、実施基準の曖昧さや経費の妥当性を問う声は一切盛り込まなかった。問題点を指摘した有識者ヒアリングの内容も含まれなかった。
お手盛り内容の記録集と言わざるを得ないだろう。事実関係を後世に正しく伝えるためには、さまざまな批判も記録すべきだ。
共同通信が行った国葬に関する情報公開請求で、内閣府は千枚を超える文書を開示したが、黒塗りが多かった。
招待者名簿のうち氏名が明らかになったのは4分の1に過ぎず、推薦基準は判然としなかった。
野党から、政府の取り組みが不十分だと批判が出るのは当然だ。
これでは安倍氏国葬の教訓を後世に生かすことができない。禍根を残さないためにも、今からでも丁寧に検証し、説明責任を果たすことが求められる。
憲政史上最長の首相在任期間を誇った安倍氏だが、政治手法については功罪が問われている。その検証も忘れてはならない。
