中越から中越沖、東日本へとつながった知見を生かし、どう備えるかを考える機会にしたい。教訓を風化させず、今後の防災や減災につなげていきたい。

 旧川口町(長岡市)を震源とするマグニチュード(M)6・8、最大震度7を観測した中越地震から、23日で19年となる。

 秋の夕闇に包まれた土曜日の午後5時56分だった。突き上げるような揺れ、繰り返す余震の恐怖を思い起こす人は多いだろう。

 日本の原風景ともいえる中山間地に甚大な被害をもたらし、関連死を含め68人の尊い命を奪った。重軽傷者は4795人に上る。

 3175棟が全壊するなど、長岡市や小千谷市など一帯で12万棟以上の住宅が被害を受けた。最大10万人超が避難生活を余儀なくされ、生活基盤を失った人もいる。

 19年がたって地震の痕跡は少なくなり、話題に上ることも減ってきた。改めて、失われた命の重さを忘れず、記憶を伝えていくという誓いを新たにしたい。

 中越地震をきっかけに、ベッドやトイレなどの避難所用品が進化した。住民の伴走者となった地域復興支援員制度は東日本大震災の被災地に引き継がれ、ノウハウは地域おこし協力隊につながった。

 一方で、中山間地の復興の成功例とされてきた中越の被災地では、もともとあった過疎や高齢化といった課題が顕在化した。

 全村避難を経験した長岡市の山古志地域の人口は震災前の約3分の1になった。被災地は軒並み人口を減らし、地域をどう持続させていくかという課題に直面する。

 そうした中、被災地は復旧や復興支援で訪れた人たちとの交流を続け、関係を深めてきた。山古志では素晴らしい自然や人情など地域資源を生かした催しに人が集まる。観光客受け入れの新たな仕組みづくりの模索も続く。

 新型コロナウイルス禍で停滞していた取り組みも再開し、川口地域では東京都狛江市民との交流が復活した。被災から生まれた縁を大切にしたい。

 教訓の伝承には防災教育が欠かせない。NPO法人ふるさと未来創造堂(長岡市)は今年、学校、地域、家庭が一体になった防災教育を推進する取り組みが評価されて総理大臣表彰を受けた。

 復興支援や地域づくりを担う中越防災安全推進機構(長岡市)も小中学校で地道な防災学習を続けてきた。中越地震の経験がない子どもたちが災害を「自分ごと」と捉えるきっかけとなっただろう。

 地震から20年の節目となる来年に向けて、県内自治体をはじめ産学官が一体となった取り組みが複数、動き出している。

 求められるのは、命を守るために防災意識を高め、知識や教訓を全国に、次世代に伝え続けることだ。災害はいつ、どこでも起こり得ることを忘れてはならない。