1票の格差、衆参で熟慮を

 <1983年に衆院旧青森1区で初当選。以来、12回の当選を重ねた。そのうち4回は中選挙区制での戦いだった>

 中選挙区は候補者個人の戦いで、最大のライバルは同じ自民党の候補だった。会合に行けなければ「向こうは来ていたのにお前は来なかった」と言われる。身内であるがゆえに不安になり、対抗しないといけないと思わされた。

 当時は党の派閥ごとに選挙を行い、有権者の共感を得るため「サービス合戦」の様相が強かった。確かに政治には富の分配の役割もあるが、中選挙区制のサービス合戦は政治とカネの問題を構造的なものにした。

 <88年にリクルート事件が発覚。政治腐敗の打破が叫ばれる中、大島氏は90年に第2次海部内閣で官房副長官に就き、政治改革に携わる。議論は宮沢喜一内閣、細川護煕内閣に持ち越され、94年に政治改革関連法が成立。96年衆院選で小選挙区比例代表並立制が初めて実施された>

 党対党の面が強くなり、有権者はすっきりした形で選択できるようになった。身内同士の戦いもしなくてよくなった。海部内閣の副長官時代、討論会などで「政党本位で政権選択の選挙制度にする」と訴えたが、そうした姿が見えてきた。

大島理森氏

 中選挙区時代に比べて選挙区が狭くなり政治家が身近になった。本当に信頼できるのか、説明責任を果たしているのかを有権者が判断できるようにもなった。

 <2015年4月に衆院議長に就任。前任の町村信孝氏から引き継いだのが「1票の格差」の是正だった。法改正への与野党の合意形成に努め、衆院の定数削減と、都道府県の人口を反映した議席配分方法「アダムズ方式」導入の流れをつくった>

 予算を承認し、首相を指名する衆院議員を選ぶ選挙は、主権者である国民が直接国政に参加する貴重な機会だ。1人に与えられる票は公平でなければいかんというのが大原則だ。

 地元の青森県でも17年の衆院選から定数が一つ減った。区割り変更による候補の国替えには不満の声もあり、大変つらかったが、苦渋の決断で乗り越えた。

大島理森氏

 <大島氏は20年12月、議長在任日数が河野洋平氏を抜き、明治憲法下の帝国議会を含めて歴代最長となった。三権の長として1票の格差を巡る公平性の確保に取り組んできたが、議員の数が減る地方の危機感も重く受け止める。小選挙区制25年の節目にさらなる改革の必要性を訴える>

 願わくば、1票の格差問題は衆院と参院で別々に考えてほしい。政権を選ぶ衆院選は1票の重みに神経を使うべきだ。

 一方、参院は衆院より任期が長く、じっくり政府をチェックする意味合いが強い。1票の格差にそれほどこだわらなくてもいいのではないか。参院選で2県を1選挙区にする「合区」解消が議論されている。各党会派で両院の役割という根幹部分を議論する時期がきているのではないか。

(報道部・長野清隆)

◎大島理森(おおしま・ただもり)1946年青森県八戸市生まれ。慶応大卒。青森県議を2期務めた後、83年に衆院旧青森1区で初当選。農相、自民党国対委員長、党幹事長、党副総裁などを歴任。2015~21年に衆院議長。当選12回。21年秋に政界を引退。