【2022/01/22】

 <1970年代に市民運動に取り組み、ロッキード事件で政治不信が高まった76年に衆院選に初めて立候補。衆参の選挙で3度落選した後、中選挙区制時代の80年に衆院旧東京7区で初当選した>

 当時の野党第1党は社会党だったが、衆院定数の過半数の候補者を出すことはほとんどなかった。3人区なら、1人しか出さない。過半数の候補がいないのに、政権交代が起こるはずがない。中選挙区制時代は長くそういう状況が続いた。

 社会党幹部を務めた江田三郎さんは「このままでは政権を取れない」と党を飛び出し、後を継いだ江田五月さんらと私も一緒になった。初当選時は社会民主連合。衆参合せて6人のミニ政党だった...

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