大都市が震度7の揺れに襲われた阪神大震災から、きょうで29年になった。家屋の倒壊や火災、高架道路が横倒しになった姿は人々に衝撃を与えた
▼かつての大震災の惨状は、能登でも繰り返されたのか。家々が崩れ落ちた。炎がまちをのみ込んだ。大きなビルが倒れた。29年前のありさまと、今の光景が重なって見えた。阪神大震災は、近年続発する地震災害の起点として位置づけられるのではないか
▼未曽有の災害をきっかけに社会の変化も起きた。震度階級「5」と「6」が、それぞれ「強」と「弱」に細分化された。市民が被災地を支えるボランティアが定着した。住宅が損壊した世帯に現金給付をする被災者生活再建支援法が成立した
▼一方で変わらないものもある。避難生活の質は、今なお低いままだ。能登の被災地でも人々は厳しい寒さにさらされ、プライバシーを保つのも難しい。発災後しばらくは温かい食事が取れず、トイレの数も足りなかった
▼その背景には、依然として「災害時だから不自由なのは当たり前」という意識があるのではないか。厳しい生活を強いられている能登の被災者からも「仕方ない」「我慢するしかない」といった声をよく聞く
▼しかし、これだけ災害が多発している今、この国で暮らす人は誰もが被災者になる恐れがある。自分がその立場になったら。我慢ばかりの生活は耐えがたい。私たちの日常は災害と隣り合っている。災害に見舞われたとしても暮らしの質を確保する取り組みを進めたい。