刑事責任能力を認め、自らの意思で残虐な犯行に及んだと結論付けた。かけがえのない多くの人命を奪った行為が断罪された。
悲惨な事件が二度と起きないように、事件の背景を分析し、孤立や孤独を生み出さない社会への転換が急がれる。
36人が死亡し、32人が重軽傷を負った京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判で、京都地裁は25日、殺人罪などに問われた青葉真司被告に求刑通り、死刑判決を言い渡した。
最大の争点は、青葉被告に犯行当時、刑事責任能力があったかどうかだった。
判決は「心神喪失や心神耗弱の状態ではなかった」と判断し、刑事責任能力はあったと認めた。
責任能力を巡り、被告が妄想性障害に罹患(りかん)していたとしたが、放火殺人を選んだことへの妄想の影響は「ほとんど認められない」と判断した。
責任能力の判断要素となる「善悪の区別」ができたと考えたのだろう。判決は、犯行は強固な殺意に基づき計画的で、真摯(しんし)な反省はなく死刑を回避できないとした。
公判で被告は、妄想に基づく発言を繰り返したが、放火直前に実行するかどうかを十数分間考えたことも述べていた。
弁護側は被告には重度の妄想性障害があり、善悪の区別や行動を制御する能力を失っていたとし、無罪か刑の減軽を主張していた。
被告は公判で謝罪の気持ちを述べることもあった。
しかし、ガソリンを用いた犯行状況や、うまくいかない自分の人生の責任を京アニに転嫁した筋違いで身勝手な動機、平成以降で最悪の犠牲者を出したことなどが、死刑適用基準(永山基準)に該当すると判断されたとみられる。
被害者参加制度で多くの遺族が出廷し、家族を失った悲しみや被告への怒りを訴え厳罰を求めた。
極刑判決でも癒やされることのない遺族の気持ちを受け止め、被告は反省し続けねばならない。
遺族の悲しみや苦しみは今後も続く。関係機関は被害者側に寄り添った支援が求められる。
大切なのは、悲惨な事件が繰り返されないよう、凶行に及んだ背景や動機をしっかり解明し、教訓につなげることだ。
公判を通し、被告が社会から孤立していたことが浮かび上がった。職を転々とし、他者との関わりを拒絶していた。理解してくれる人がおらず、社会から見放されたと感じていたのではないか。
重度のやけどを負った被告を治療した医師には、病院で世話をしてくれたような人たちと事件前に出会っていたら、「やっていなかった」と話していたという。
被告の孤独に向き合う人がいれば、事件は起きなかったとの指摘もある。社会全体で対策を進め、孤立や孤独を防がねばならない。
