寒さがこたえるこの季節、温かい風呂はありがたい。たっぷり湯を張った浴槽にどぼんと身を沈める。急激な寒暖差は体に毒だから気をつけねばならないが、全身が湯に包まれると幸福感に満たされる
▼哲学者で僧侶でもあった橋本峰雄が書いている。湯あみの快感とは「自分の肌にじわじわと湯が染みて、肌と湯、つまり内と外とのけじめがなくなってくる、それゆえにうっとりとしてくる皮膚感覚のことである」。言い得て妙だ
▼日本人の風呂好きはよく知られる。非常時でもそれは変わらないらしい。こんな写真が残されている。戦災で周囲が焼け野原と化した中、銭湯らしき場所の、わずかに焼け残った湯船を板で囲って多くの人が入浴している(松平誠「入浴の解体新書」)
▼体を清潔に保つためだけの理由なら、シャワーや行水でいい。多くの人は、この上ないリラックス効果を求めて湯につかる。能登半島地震の被災地で、人々が久しぶりの入浴に、心からほっとした表情を見せていた
▼日常の営みが断ち切られた災害時は、なおさら癒やしの効果が感じられるようだ。中越地震の被災地でも、公共施設の浴場や自衛隊が設置した簡易の湯船につかった人々が、ひととき被災の疲れを忘れたと話していたのを思い出す
▼湯のぬくもりは、打ちのめされた人々が生きる気力を取り戻す手助けになるのだろう。地震の発生からきょうで1カ月になる。吹く風はまだ冷たい。悲しみに沈み、疲れ切った人々の心と体を少しでも温めたい。