2月が終わる。ほっとしている。この冬は雪下ろしを一回もしないまま終わりそうだから。例年なら空き家になっている実家に何度か足を運び、屋根に上がっていた。昔ながらの田舎の家。今となっては不条理に思えるほど大きい

▼大屋根を終え小屋根へ。6時間もスノーダンプを押し引きしていると心底へろへろになる。何かを生み出すでもないエネルギー消費が口惜しい。スキー場関係者らには心苦しいが、暖冬少雪が素直にありがたい

▼まだこの先も雪は積もるだろうが、もう雪下ろしはしない。3月にドカ雪があったとしても雪消えが見通せるからだ。雪下ろしをする心理はおそらく、目の前の雪塊が脅威というより、この先もっと積もるかもしれないという恐れの方が強い

▼降り始めたら止まらない大雪の怖さを、雪国の人は身をもって知っている。1メートルくらいの雪なら怖くはないが、2メートルを超えたらさすがに心配だ。だから1メートルのうちに処理してしまおうと気がせく

▼凍える冬も、必ず春が来ると思うから我慢できる。展望が見いだせない忍耐は切ない。試練に直面する人にとって、見通しを得られることがいかに大切か。大地震で生活基盤を奪われた被災者にとっても。かの地で戦火におびえる人々にとっても

▼年度末で退職や卒業を迎える人は、残すところ1カ月。感慨や達成感、名残惜しさが去来しているだろうか。けれど、楽しからざる記憶の方が多い人もいるでしょう。取りあえず終章まで、あと少し。気を引き締めて。

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