県内でもあちこちで桜が満開になり始めた。記録的な猛暑と日照り、そして暖冬少雪を経ても、いつものようにきれいな花を咲かせる自然の力に恐れ入る
▼詩人の萩原朔太郎の作品に花見をうたったものがある。きらきらとした日の光を受けた桜の下で戯れる「青春の男女」に思いを寄せ「いかに幸福なる人生がそこにあるか」「よろこびが輝いてゐることか」と詠んだ
▼ただし「憂鬱(ゆううつ)なる花見」と題したこの詩は、朗らかなる光景とは対照的に「暗い室内にひとりで坐(すわ)る」自分にとって、花見の歌声が「かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる」と吐露する。「閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすりなく」とすらある
▼心情をどこまで読み取れているか分からないが、共感の思いで引用した。年齢を重ね、淡いピンクの花びら群を素朴に美しいと思えるようになったが、人並みながら挫折を味わった若いころは、咲き誇る桜のまぶしさが疎ましかった。浮き立つように明るければ明るいほど、惨めな思いを際立たせた
▼寒暖差が激しい春は生活環境の変化もあり、心身に変調を来しやすい季節とされる。新生活に期待したい一方で、ストレスで心沈む時間を過ごしている人も少なくないのでは。花に心を向ける余裕もないかもしれない
▼でも、同じような心境の人がいる、自分だけじゃない-と思えたら、気持ちもちょっと楽になる。「日本近代詩の父」とされる朔太郎の詩が時代を超えて読み継がれていることが、その証しではないか。