【2022/03/19】

 昭和の終わりから平成の中頃にかけ、高度技術に基づく国際的な産業圏を新潟県長岡市などに築く試みがあった。

 旧通産省(現経産省)がリードした「テクノポリス計画」だ。1989(平成元)年に知事になった金子清(89)は推進に意欲的だった。

 「環日本海経済圏の実現の機運が高まっており、当県がその拠点を担うことが期待される」「環日本海時代を先導する産業技術交流都市圏を形成する」。金子は91年に県がまとめたテクノポリス計画でこう訴えた。

 長岡は84年に計画が承認され、全国で先行していた。元参院議員の市長小林孝平が長岡ニュータウン開発と絡めて推進した。小林は元首相田中角栄が掲げた「国...

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