「俺は……何しに、帰ってきたんろ……」。新潟市出身の作家、藤沢周さんの連作短編集「憶」は私小説の趣で越後弁が続く。今年で65歳、高齢者の仲間入りをした。故郷が舞台の物語には、主人公の記憶の断片が散らばる

▼用もないのに帰省した作家。3年前に母が亡くなり実家は空き家だ。「ただいま」。玄関で声を出しても返事はない。仏壇に線香を上げ、手を合わせたらもうやることがない

▼そこで冒頭の独り言が漏れる。居間に座っても所在ない。「馬鹿(ばか)らねえ」。老いた母の優しい声が聞こえた気がする。親子でにぎやかだった頃の思い出が静まりかえった家によみがえる

▼先の大型連休で、主人公のように空き家に帰省した人もいただろう。全国の空き家は900万戸に増えたという。本県も住宅約100万戸のうち、人の住まない家は15万戸を超え、増加している。高齢化と人口減少に連動する動きだ

▼空き家には一家の成長の記憶が染み込んでいる。例えば、兄弟の背丈を刻んだ縁側の柱。キャラクターのシールを何枚も貼ったタンスが残っているかもしれない。笑い声や泣き声を包み込んだ家を、ただの邪魔者で終わらせたくない

▼藤沢さん世代の多くが退職期を迎える。空き家を再生し、故郷で第二の人生を始めるのはどうか。都会と実家の2拠点生活もいい。空き家バンクを充実させ、格安な雪国暮らしの魅力を県外の人々に広める手はないか。空き家をもう一度、思い出が詰まった宝箱にする知恵をさらに絞りたい。

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