やるか、やらないか。賛成か、反対か。日々は選択の繰り返しだ。迷ってばかりだが「正しさ」をよりどころに判断するとなると、なお一層難しい
▼白黒つけにくい問題は社会にあふれている。数学のように正解は一つとは限らない。答えの出ない矛盾をのみ込まざるを得ないときもある。とはいえ常に結論を求められる場所もある。法廷はその一つだろう
▼32年前に女児2人が殺害された飯塚事件を巡り、裁判のやり直しを求める再審請求が福岡地裁であった。既に死刑囚の刑が執行された事件である。請求審では当時の目撃証人が新たに証言した。記憶と異なる供述調書に署名押印したことを、ずっと悔いていたという
▼再審となれば国の死刑制度の根幹を揺るがしかねなかったが、請求は棄却された。「証言は信用できない」。三審制の下で導かれた結論は堅持された。ただ、死刑や再審の制度には、とうに揺らぎが生じていると思えてならない
▼飯塚事件の元死刑囚は終始一貫否認していた。直接証拠はなく、DNA型鑑定には疑義が示された。目撃証言など状況証拠の積み重ねで立証されたが、その一角を否定する証言が再審請求で出た
▼痛ましく憎むべき事件とはいえ、立証の実態を省みたとき、取り返しのつかない刑罰が判決確定から2年で執行されていた事実をどう考えるべきか。問いかけていかねばならない。えん罪が証明された死刑判決は複数ある。48年間自由を奪われ続けた袴田巌さんの再審公判は、9月に判決が下る。