江戸時代の日光例幣使(れいへいし)街道の宿場町の一つ木崎宿(現群馬県太田市)に伝わる歌があった。〈越後蒲原ドス蒲原で/雨が三年、日照りが四年/出入り七年困窮となりて/新発田様へは御上納ができぬ/田地売ろかや子どもを売ろか〉
▼この木崎節を歌ったのは旅籠(はたご)の飯盛(めしもり)女だとされる。歌詞にある通り、水害や干ばつで年貢米が納められなくなり身売りされた越後の娘たちである(伊藤充「新潟県 県民性の民俗史」)
▼新発田藩の領地で歌い継がれた「蒲原口説き」がルーツだという。木崎宿に売られた越後の女性が多かった証しだろう。飯盛女は宿屋で掃除や給仕をし、売春をさせられた。体調不良でも客を取らされ、暴力を受けたとする口上書も残る。過酷な境遇の女性が自虐的に口ずさんだのが木崎節だった
▼「娘を売る身も、売られる身も、耐えて生きていかなければならなかった」。伊藤さんは著書で、新田開発が盛んだった越後平野の水害の多さと貧しい小作農の悲哀を、越後人の忍耐強さと結びつけている
▼広い山間地と大河を抱える本県発展の歩みは、自然災害の克服に挑んだ歴史でもある。災害の悲劇を繰り返さぬよう、一歩ずつ対策が取られてきた。その過程で災害犠牲者以外にも、人知れず不遇を背負った人生があった
▼梅雨空が続く。この時季の激しい雨には飯盛女の怨念が宿っている-。そんな妄想をしながら、静かに祈る。大過なく梅雨明けが迎えられますように。作物を枯らすような猛暑になりませんように。