
兄の小林亨さんらが作成した住宅焼失図を見つめる遠藤好子さん。「これほどの人が生きていた街が、一晩で焼けたと分かる。兄は立派なことをしたんですね」と話す=長岡市城内町2
当時16歳の長兄は、焼け跡で父ときょうだい、いとこ計6人の遺体を見つけた。小学5年生の次兄は、下の妹と弟をかばうように重なって息絶えていた-。生後5日で1945年8月1日の長岡空襲に遭った遠藤(旧姓小林)好子さん(78)=新潟県見附市南本町3=が、7月から長岡空襲の語り部を務めている。記憶は全くない。それでも、母や長兄の壮絶な空襲体験を受け継ぎ、後世に伝えたいと活動する。(長岡支社・後藤千尋)
7月初旬、遠藤さんは新潟県長岡市内で、兄と母の話を中学生に伝えていた。語り部の最初の仕事だった。見附市立西中学校の1年生約100人に「父のぬくもりは知らないけれど、父の付けてくれた名前が、私と父をつな...
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